東坡居士はまた、ある時仏印禅師了元にまみえたことがある。そのとき、仏印禅師は居士に法衣と仏戒をさずけた。居士はその法衣をつねに身につけて修行した。そして、仏印禅師に高価な玉帯をおくった。当時の人々は、それを「凡俗のおよぶところではない」と褒めたたえた。そういうことであって、彼が谿声を聞いて悟りを得たということは、また後学をうるおし益するところであらねばならなぬ。思えば悲しいかな、わらはいくたびとなくむ仏の現身の説法を聞く機会を逸してきたらしい。ましてや山色を見、谿声をきくなどとはとてものこと、一句も半句もきこえはしない。いわんや八万四千偈などとは思いもよらぬ。山水にはかくれた声があり姿があるというのは恨めしい。だがまた、作軟水の声や姿は現れ流時があり、機があるというから嬉しいではないか。谿声には懈怠はなく、山色はいつも存する。4だからとて、その現れるときは近いといい、またその隠れる時も近いとはいえまい。一刻だ半刻だとはいえないのである。東坡居士とても、それまでの年月には、山水の声も姿も見聞しなかった。その夜はじめて、わずかに見聞為る事を終えたのである。いま仏道を修する人々も「山は流れ、水は流れず」とまず常識の見解を脱する門に入るがよい。」((道元:正法眼蔵・谿声山色)