「桃花を眺めて悟る」「また霊雲志勤禅師は、三十年このかた修行してきた人であるが、ある時、山に遊び、山麓に休息して、はるかに人里を眺めた。時春にして桃花のさかりなるを見て、忽然として悟った。そこで一詩を賦して、大潙に呈していった。「三十年このかた知識を」すなはち許可訪ねて 葉落ち芽を生ずることすでに幾回ぞ ひとたび桃花を見てよりのちは たちまち疑いをこえて今にいたる」大潙は「縁より入る者は、ながく退失せず」といって、ただちに印可をあたえたという。だが、誰か縁より入らぬ者があろうか。また入てはまた退失ものがあろうか。それはひとり志勤のことのみではないが、彼はやがて大潙の法を嗣いだ。もしも山色が清浄身でなかったならば、どうしてこのようなことがありえようか」(道元:正法眼蔵・谿声山色)

原文「霊雲志勤禅師は、三十年の弁道なり。ある時遊山するに、山脚に休息して、はるかに人里を望見す。ときに春なり。桃華のさかりなるをみて、忽年として悟道す。偈をつくりて大潙に呈するにいはく。「三十年来尋剣客、幾回葉落又抽枝。自従一見桃華後、直至如今更不疑」大潙いはく「従縁入者、永不退失(ようふたいしつ)」すなはち許可するなり。いづれの入者か従縁せざらん。いづれの入者t退失あらん。ひとり勤をいふにあらすず。つひに大潙に嗣法す。山色の清浄身にあらざらん。いかでか恁麼ならん」