「山河大地とは」「長沙景岑禅師にひとりの僧が問うた。「いかがしたならば、山河大地を転じて自己に帰することができましょうか」師はいった。「どうしたならば自己を転じて山河大地をに帰することができるだろうか」この表現は、自己はおのずから自己でありるから、たとい自己は山河大地だといっても、帰するところはいっこうに差支えるところはないのである。瑯瑯の広照大師慧覚和尚は、とおく南嶽の流れを汲むものであるが、ある時、教家の学者である子璿なるものが、和尚に問うていった。「本来清浄なるに、どうして忽ち山河大地を生ずるのであろうか」その問いに答えて和尚は示していった。「本来清浄なるにどうして忽ち山河大地を生ずるのであろうか」それで解ることは、本来清浄なる山河大地をただの山河大地と思い誤ってはならぬということ。しかるに、経まみを学ぶ学者は、そんなこととは夢にも聞かないから山河大地をそうとは知らないのである。」(道元:正法眼蔵・谿声山色)

原文「長沙岑禅師に、ある僧とふ、「いかにしてか山河大地を転じて自己に帰せしめん」師いはく、「いかにしてか自己を山河大地に帰せしめん」いまの道趣は、自己のおのづから自己にてある、自己たとひ山河大地といふとも、さらに所帰に罜礙すべきにあらず。瑯瑯の広照、大師慧覚和尚は、南嶽の遠孫なり。あるとき、教家の講師子璿とふ、「清浄本然、云何忽生山河大地」かくのごとくとふに、和尚しめすにいはく、「清浄本然、云何忽生山河大地」ここにしりぬ、清浄本然なる山河大地を山河大地とあやまるべきにあらず。しかあるを、教師かってゆめにもきかざれば、山河大地を山河大地としらざるなり。」