菩提心のすすめ「かくて知らねばならぬ。山色谿声によらずんば、拈華微笑の舞台みひらかれず、二祖が得髄もありえないであろう。谿声山色の功徳によって大地と人間が同時に成道するのであり、明星のきらめくを見て悟る仏たちもありうるのである。求法の志のふかかった先哲たちも、われと同じ人間であった。その先例をいまの人たちはかならず参考とするがよい。今日でも、名利をはなれて真実に仏法を学ばんとする者は、そのような志を立てるがよい。しかるに、近来のわが国においては、ほんとうに仏法を求める人は稀である。ないわけではないが、その縁に遇いがたいのである。たまたま僧となって俗を離れたようでも、仏道をもって名利への手段とするもののみがおおい。気の毒なことであり、口惜しいことである。この月日を惜しまず、むなしく暗闇のわざに偓促(あくせく)として、いつになったらこの俗世をはなれ、悟りをひらく時があろうか。たといよき師に遇うても、本物を愛することはできまい。先師はそのような人を「かわいそうな者だ」といった。さきの世の悪因によってそうなのだからである。この世に生をうけても、法のために法を求める志がないから、本物をみても本物をうたがい、正法に遇うても正法にきらわれるのである。この身心骨肉が、かって法によって生じたものでないから、法と相応しないのであり、法を受用することができないのである。その由は、仏法よりこのかた師資相承して既に久しい。いまや菩提心は昔の夢を説くにひとしいものとなった。かわいそうに、宝の山に生まれながら、宝を知らず、宝を見ず、いわんや法の宝をうることをやである。(道元:正法眼蔵・谿声山色)
原文「しるべし、山色谿声にあらさ゜れば、拈華も開演せず、得髄も依位せざるべし。谿声山色の功徳によりて、大地有情童子成道し、見明星悟道する諸仏あるなり。かくのごとくなる皮袋、これ求法の志気甚深なりし先哲なり。その先蹤、いまの人かならず参取すべし。いまも名利に花果原ざんん真実の参学は、かくのごときの志気をたつべきなり。遠方の近来は、まことに仏法を求覓(ぐみゃく)する人まれなり。なきにはあらず、難遇なるなり。たまたま出家児となり、離俗せるににたるも、仏道をもて名利のかけはしとするのもおほし。あはれむべし、かなしむべし、むこの光陰をおしまず、むなしく黒暗業に売買すること、いづれのときかこれ出離得道の期ならん。たとひ正師にあふとも、真龍を愛せざらん。かくのごとくのたぐひ、先仏これを可憐憫者(かれんみんしゃ)といふ。その先世に悪因あるによりてしかあるなり。生をうくるに為法求法のこころざしなきによりて、真法をみるとき真龍をあやしみ、正法にあふとき正法にいとはるるなり。この身心骨肉、かって従法而生(じゅうほうにしょう)ならざるにによりて、法と不相応なり。法と受用なり。祖宗師資、かくのごとく相承してひさしくなりぬ。菩提心はむかしのゆめをとくがごとし。あはれむべし、宝山にうまれながら宝財をしにず、宝財をみず。いはんや法財をえんや。」
真龍:本物の意 従法而生:すでに先世に菩提心を発してあれば、その身心骨肉がおのづから法と相応するというのである。菩提心:まことの智慧を得たいと思う心である。