「菩提心のすすめ」「もしも菩提心をおこしさえすれば、そののちなお六道・四生を経ぐろうとも、その輪廻のえにしがすべて菩提のいとなみとなる。であるから、たといこれまでの年月はむなしく過ごしても、今生のあいだにはいそぎ願を発すがよい。その願のありようは、われも衆生もみなともに、今生よりこのかた生々をつくして、正法を聞くことができますようにということ。また、聞くことをえたならば、正法を疑をず、不信の念をいだかじということ。まさに正法に遇うこと をえたときには、世法をすてて仏法をたもち、ついに大地有情とともに成道をすることをうるようにということ。そのように発願すれば、おのづから正しい発心の条件がととのうのである。この心ばえをおろそかにしてはならぬ。」(道元:正法眼蔵・谿声山色)
原文「もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪転すといへども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。しかあれば、従来の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすきざるあひだに、いそぎて発願すべし。ねがはくは、われと一切衆生と、今生より乃至生生をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せず、不信なるべからず。まさに正法にあはんとき、世法をすてて仏法を受持せん。つひに大地有情ともに成道することをえん。かくのごとく発願せば、おのづから正発心の因縁ならん。この心術、懈倦することなかれ。」
行願:身行と心願。菩提の行願とは、得道のためにいとなむ身心両面における所行・行願を総じていうの意。