「仏衣の布材2」「いま大宗国にあって律宗を称する人々は、小乗の酒に酔って狂い、おのが家門にえたいの知れないものを伝えて、恥もせず、恨みもせず、気もつかないでいる。印度から伝来した袈裟が、ずっと漢・唐と伝えられているのを、つまらぬ量見をもって改めようとしている。それは小さな量見からしたことであって、恥じなければならない。もし、そんな量見であらためた衣などを用いたならば、仏の整々たる作法にもいろいろの欠陥ができてこよう。仏の作法を学びつたえることが完全でないから、そんなことを出かすのである。如来の身心はただ仏祖の家門にのみ正伝せられて、彼らの家には流散していないことが明らかである。もし仏の作法を知っているのなら、仏衣の伝統を破ってはならないのである。経の文もよく究めず、その趣旨をもよく聞かないからである。」

原文「いま現在大宗国の律学と名称するともがら、声聞の酒に酔狂するによりて、おのれが家門にしらぬい  ゐを伝来することを慚愧せず、うらみず、覚知せず。西天より伝来せる袈裟、ひさしく漢唐につたはれることをあらためて、小量にしたがふる、これ小見によりてしかあり。小見のはずべきなり。もしいまなんぢが小量の衣をもちゐるがごときは、仏威儀おほく虧闕することあらん。仏儀を学伝せることあまねからざるによりて、かくのごとくあり。如来の身心、ただ祖門に正伝して、かれらの家業に流散せざること、あきらかなり。もし万一も仏儀をしらば、仏衣をやぶるべからず。文なほあきらめず、宗いまだきくべからず。」