「仏衣の布材5」「糞掃の、もはや絹でもなく、珠玉でもない道理がわかった時、その時はじめて糞掃衣は理解せられるのである。糞掃衣二は生まれかわって巡りあうのである。之は絹布だと思う考え方がおちない者には、どこまでいっても、とうてい糞掃衣は判らないのである。たちい一生粗布を袈裟として着用しようとも布見にとらわれている限りは、仏衣の正伝はないのである。」(道元:正法眼蔵)

原文「糞掃の絹・布にあらず、、珠玉をはなれたる道理をしるとき、糞掃衣は現成するなり。糞掃衣にはうまれあふなり。絹・布の見いまだ零落せざるは、いまだ糞掃は夢也未見(むやみけん)なり。たとひ麤布(そふ)を袈裟として一生受持すとも、布見をおぼえらんは、仏衣正伝にあらざるなり。」