「仏衣の布材9」「のちに、一人の僧が六祖に問うていったことがある。「黄梅山の夜半に伝えられた衣は綿でありましたか、絹でありましたか、帛でありましたか。六祖は答えていった。「それは綿でもなく、絹でもなかった。僧谿慧能のことばはそうであ布でもなかった。つまり、仏衣は、絹布でもなく、綿布でもなく、また大細布でもないのである。それなのに、それを絹といい、綿とい、大細布だというのは、仏法をそしるの類であって、とうてい仏の袈裟を知ることはできないであろう。ましてや、縁あってさいわいに出家したものが、その得たる袈裟を、絹だ綿だとあげつらってはならないことは、もともと仏道の家訓というものである。(道元:正法眼蔵)

原文「のちに、ある僧すなはち六祖にとふ、「黄梅の夜半の伝衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん、帛なりとやせん、畢竟じてこれなにものとかせか」六祖いはくむ「これ布にあらず、絹にあらず、帛にあらす゛」僧谿高祖の道、かくのごとくとしるべし。仏衣は絹にあらず、布にあらず、屈眴(くつじゅん)にあらざるなり。しかあるを、いたずらに絹と認じ、布と認じ、屈眴と認ずるは、謗物法のたぐひなり、いかにして仏袈裟をしらん。いはんや善来得戒(ぜんらいとくかい)の機縁あり。かれらの所得の袈裟、さらに絹・布の論にあらざるは、仏道の仏訓なり。」