「袈裟の布材10」「また、商那和修の衣は、家にありしころの俗服が、そのまま出家した時の袈裟となったという。その道理をしずかに思いめぐらしてみるのがよい。見たことも聞いたこもないと、捨てておいてはならない。ましてや、そこには仏祖より仏祖へと伝えきたった意味が存するのである。ただ文字のみに拘っている者には、気もつかず、測り知ることもできない。まったく、仏道のことは千変万化であって、とうてい、凡慮の思いおよぶところではない。たとい三昧や陀羅尼に通じていようともただ沙を数うる徒輩には、とても、わが衣のなかの宝樹に気付くことはできないであろう。(道元:正法眼蔵)

原文「また商那和修が衣は、在家の時は俗服なり、出家すれば袈裟となる。この道理、しずかに思慮功夫すべし。見聞せざるがごとくしてさしおくべきにあらす。いはんや仏仏祖祖正伝しきたれる宗旨あり。文字かぞふるたぐひ、覚知すべからず、測量すべからず。まことに仏道千変万化、いかでか庸流の境界ならん。三昧あり、陀羅尼あり、算沙のともがら、衣裏の宝樹をみるべからず」