「仏衣の布材11」「いまはただ、仏祖の伝えきたった袈裟の布材・寸法をそのまま仏衣の正しい手本とするがよい。その例はすでに東西・古今に久しうつたえられている。正邪のわかる人は、すでにはっきりと知っている。仏祖の道のほかに袈裟を説くものがあっても、それは末節のことで、根本のことではない。そこからどうして善根の種子が生まれて来ようか。ましてや、善き種を結ぶはずがありえようか。しかるに、われらはいまや、久しき昔よりまだ遇わなかった仏法を見聞することをえたのみならず、また、仏衣を見聞し、仏衣を学び、仏衣を受持することを得た。それはとりも直さず、まさしく仏を見たてまったのであり、仏の音声を聞きたてまつったのであり、仏の光明に浴したのであり、仏の用いたまうところを用いるのであり、さらにいえば、仏の心をそのままに伝え受けるのであり、仏の骨髄を頂戴するのである。」(道元:正法眼蔵)
原文「いま仏祖正伝する袈裟の体・色・量を、諸仏の袈裟の正本とすべし。その例すでに西天東地、古住今来ひさしきなり。正邪を分別せし人、すでに超証しき。祖道のほかに袈裟を称するありとも、いまだ枝葉とゆるす本祖にあらず。いかでか善根の種子をきざさん、いはんや果実らんや。われらいま、曠劫以来いまざあはざる仏法を見聞するのみにあらず、仏法を見聞し、仏法を学習し、仏衣を受持することをえたり。すなはちこれ、まそしく仏をみたてまつるなり。仏音声をきく、仏光明をはなつ、仏受用を受用す。仏心は単伝するなり。得仏髄なり。」

