「あわれ郷土にありしころには、教えてくれる師匠もなく、語りあう善き友もなく、多くの歳月をいたずらに過ごしてきた。まことに惜しいこと、悲しいことであった。しかるに、いまこれを見聞することを得たのは、まことに歓ぶべき宿善というものであろう。もしも、あのまま郷土の寺々にあったのでは、とてもこの隣の席に、まさしく仏衣を着用する僧宝を見ることはできなかったであろう。そう思うと、悲喜こもごもにいたって、しきりに感激のなみだがくだったのである。その時わたしはひそかに発願した。わたしは不肖ではあるけれども、なんとかして正しい仏法をつたえ、郷土の人々をあわれんで、仏祖正伝の衣法を見聞せしめたい、と。その発願はいまや空しからず、袈裟を受持する在家・出家の修行者もすくなくない。まったく歓ばしいことことである。どうか、袈裟を受持する人々は、かならが日夜におし頂いていただきたい。そうすれば、その功徳は殊のほかにすぐれたものとなるであろう。一句・一偈を見聞することも、いろいろの謂れのあることであるが、袈裟の正伝をうける機会は、とごにでも滅多にあることではない。」
原文「あはれむべし、郷土にありしには、をしふる師匠なし、語善友にあはず。いくばくかいたづらにすぐる光陰ををしまざる。かなしまざらめやは。いまこれを見聞す、宿善よろこぶべし。もしいたづらに本国の諸寺に交肩せば、いかでかまさしく仏衣を著せる僧宝と隣肩なることをえん。悲喜ひとかたにあらず。感涙千万行。ときにひそかに発願す、いかにしてかわれ不肖なりといふとも、仏法の正嫡を正伝して、郷土の衆生をあはれむに、仏仏正伝の衣法を見聞せしめん。かのときの発願いまむなしからず。袈裟を受持せる在家出家の菩薩4おほし。歓喜するところなり。受持袈裟のともがら、かならず日夜に頂戴ずし。殊勝最勝の功徳なるべし。一句一偈を見聞することは、若樹若石の因縁もあるべし。袈裟正伝の功徳は、十方に難遇ならん。」

