「宋国の嘉定十七年の冬十月中のこと、朝鮮の僧二人が慶元府にやってきた。一人は智玄、一人は景雲といった。その二人ともしきりに経典の文意にどを語っていたが、そのうえ彼らは文章の人であった。だが、しかし、袈裟もなく、鉢ももたず、俗人のようであった。かわいそうに、比丘の形はしていても、比丘の法がととのっていなかった。辺地の小国から来たからなのであろう。わが国の比丘の姿をしている人々、他国にゆけば、また彼の二人にひとしいであろう。釈迦牟尼仏は、その修行の十二年のあいだ、瞬時も袈裟をはなされたことはなかった。いまわたしどもは、その遠き弟子として、それを学ばねばならないいたずらに、名利のために天を拝し、神を拝し、王を拝し、臣を拝しているその頭をめぐらして、よく仏衣をおし頂くこととなるならば、それはまことによろこぶべきことなのである。(道元:正法眼)
原文「大宗嘉定十七年癸未冬十月、三韓の僧二人ありて、慶元府にきたれり。一人はいはく智玄、一人は景雲。この二人、ともにしきりに仏教ぎを談ず。あまつさえの文学の士なり。しかあれども、袈裟なし、鉢盂なし、俗人のごとし。あはれむべし、比丘形なりといへども、比丘法なきこと。小国辺地のゆゑなるべし。我朝の比丘形のともがら、他国にゆかんとき、彼の二僧のごとくならん。釈迦牟尼仏すでに十二年中頂戴して、さしおきましまさざるなり。すでに遠孫として、これを学すべし。いたづらに名利のために、天を拝し神を拝し、王を拝し臣を拝する頂門をいま仏衣頂戴に廻向せん。よろこぶべき大慶なり。」ときに仁治元年庚午開冬日、記于観音導利興聖林寺。入宗伝法沙門 道元。」

