「山水の功徳」「いまの山水は、古仏のことばの顕現である。いずれも法に即して、その功徳を究め尽くしたものである。それはこの世界の成立以前の消息であて、いまもなお活きているのであり、万物のきざしもない古からのことであるから、その顕現は古今をつらぬくものである。かくて、山のもろもろの功徳は広大かつ無辺であるから、あるいは雲に乗って到り、あるいは風に順ってはたらき、自由自在にして到らざるはないのである。(道元:正法眼蔵) 

原文「而今の山水は、古仏の道現成なり。ともに法位に住して、究尽の功徳成ぜり。空劫已然の消息なるがゆへに、而今の活計なり。朕兆未萌の自己なるがゆへに、現成の透脱なり。山の諸功徳高なるをもて、乗雲の道徳、かならず山より通達す。順風の妙功、さだめて山より透脱するなり。」

空功とは、仏経の世界観は連続の世界観であって、成・住・壊・空の四劫の永遠の繰り返しである。であるからいまの世界の成立前は空功であって万物は滅して何ものも存しになかったはずである。つまり空功未善とはこの世界の成立前ということであろう。朕兆未萌とは兆さえもないときをいう。」