山はつねに運歩する「大陽山の道楷和尚は衆に示していった。「青山はつねに運歩し、石女はよるに児を生む」と。山はあらゆる功徳をそなえている。そのゆえに、つねに安住し、またつねに歩くのである。その運歩のいとくなみをつまびらかに学がよい。山が歩くといってもそれは人間があるくのとはおなじではないからとて、山のあるくことを疑ってはならない。いま仏祖の説くところもすでに山が歩くことを語っている。それは物の根本を抑えているからである。「つねに運歩す」とのこの垂示をよくよく思いめぐらしてみるがよい。歩くが故に常なのである。青山の運歩はその疾きこと風よりも速やかであるが、山中の人は気づかず知らずである。山中とは、この世界の中の森羅万象である。山外の人もまた知らず気づかない。山を見る眼のない人は、気づかず、知らず、見ず、聞かざるが道理というものである。」

原文「太陽山楷和尚、示衆云「青山常運歩、石女夜生児」山はそなはるべき功徳の虧闕(きけつ)することなし。このゆへに常安住なり。常運歩なり。その運歩の功徳、まさに審細に参学すべし。山の運歩は人の運歩のごとくなるべきがゆへに、人間の行歩にやなじくみえざればとて、山の運歩をうたがふことなかれ。いま仏祖の説道、すでに運歩を指示す。これその得本なり。常運歩の示衆を究弁すべし。運歩のゆへに常なり。青山の運歩は、其疾如風よりもすみやかなれども、山中不覚不知、不見不聞、這箇道理なり。」