「坐禅と戒律などについて」「問うていう。この坐禅をもっぱらに行ずる人は、またかならず戒律を厳守ずきであろうか。示していう。戒を持し清浄を行ずることは、とりもなおさず禅門のさだるめであり、仏祖の家風である。だが、まだ戒を受けない者、あるいは、戒を破った者も、その資格がないわけではない。問うていう。この坐禅をつとめる人は、真言ゃ止観の行をかね修しても、また差し支えないものであろうか。示していう。中国にあった時、老師にその秘訣をきいた折、西の方天竺や東の方中国においては、いまもむかしも、仏の心印を正伝した祖師方にして、そのような行を兼ね修した者は、まだ聞いたことがないとの仰せであった。まことに、一事をもっぱらにしなくては、一智に達することはできないものである。」(道元:正法眼蔵)
原文「とうていはく、この坐禅をもはらせん人、かならず戒律を厳淨すべしや。しめしていはく、持戒梵行は、すなはち禅門の規矩なり。仏祖の家風なり。いまだ戒をうけず、又戒をやぶれるもの、その分なきにあらず。とうていはく、この坐禅をつとめん人、さらに真言止観の行をかね修せん、さまたげあるべんからずや。しめしていはく、在唐のとき、宗師に真訣ききしちなみに、西天東地の古今に、仏印を正伝せし諸祖、いづれもいまだしかのごときの行をかね修すときかずといひき。まことに、一事をこととせざれば一智に達することなし。」

