「坐禅と在家者」「ちかごろ大宗国に、馮相公というものがあった。仏祖の道に長じた大官であったが、のちに詩をつくって、自分のことを詠じていった。「公事の余暇に坐禅をこのんだ 脇の床にして眠ることもまれであったが それでも長官の職を務めていたが また長老の名もって世に知られた」これは、お上の務めにひまもなかった身であったけれども、仏道に志しがふかかったから、仏道を悟ることができたというのである。彼らをもって自分をきかえりみ、昔を手本として今をかんがみるがよろしい。なお大宗国では、今の世にも、国王・大臣、官民・男女をえらぶことなく、すべて仏祖の道に去去路をむかけないものとてはなく、また、武門も文人も、いずれも坐禅修行をこころざさぬものとてはない。そしてこころざさぬものてとはない。そして、こころざすものは、たいてい心境を開発しているようである。それによっても、世の務めが仏法を妨げないことが、おのずから知られるのである。また、国家に真実の仏法が広まってくれば、もろもろの仏、ろもろの神もたえず守護するがゆえに、天下はおのずから泰平である。政治のことが泰平であれば、仏法もおのずからそのお陰をこうむるのである。また、釈尊の在世のころには、なお邪の人、邪の説がはこびっていた。だが、祖師たちのもんかにおいては、獣をとり、樵する人もよく悟りをひらく。ましてや、その余のものにただおいてをやである。ただ、たたげしい師の教えをたずねるのがよいのである。」(道元:正法眼蔵)
原文「ちかごろ大宗に、馮相公(ひょうしようこう)といふありき。祖道に長ぜりし大官なり。のちに詩をつくりて、みづからをいふにいはく、「公事之余喜坐禅少曾将脇到牀眠。雖然現出宰官相長老之名四海伝」これは官務にひまなかりし身なれども、仏道にこころざしふかければ得道せるなり。他をもてわれをかへりみ、むかしをもていまをかんがみるべし。大宗国にはいまのよの国王大臣・土俗男女、ともに去去路を祖道にとどめずといふことなし。武門・文家、いづれも参禅学道をこころざせり。こころざすもの、かならず心地を開明することおほし。これ世務の仏法をさまたげざる、おのづからしられたり。国家に真実の仏法弘通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護するがゆゑに、王化大平なり。聖化大平なれば、仏法そのちからをうるものなり。又、釈尊の在世には、逆人邪見みちをえき。祖師の会下には、猟者・樵翁さとりをひらく。いはんやそのほかの人をや。ただ正師の教道をたづふぬべし。」

