「わが国人も証得し得るか」「問うていう。西の方天竺や中国においては、人はもともと質実正直である。それも世界の中央に位する国柄のしかろしむるところであろうが、仏教の教化を受けても、すらすらと会得することができる。しかるに、わが国では、むかしから仁の人、智の人もすくなく、仏教のよき種子ももまずしいの国柄のしからしめるところであ。それも野蛮未開の国柄のしからしめるところであって、恨めしいことではある。また、この国の出家たちは、大国の在家のものにも劣っている。世をあげて愚かにして、心のせまいものばかりである。けばけばしい功徳にばかり心をひかれ、人の目に見える善ばかりをこのむ。そのような連中では、たとい坐禅したからといっても、たちまち仏法を悟り得るというわけにはゆきましょうか。(道元:正法眼蔵)

原文「とうていはく、西天および親丹国は、人もとより質直なり。中華のしからしむるによりて、仏法を教化するに、いとはやく会入す。我朝は、むかしより人に仁智すくなくして、正種つもりがたし。番夷のしからしむる、うらみざらんや。又こまくにの出家人は、大国の在家人にもおとれり、挙世おろかにして、心量狭少にり。ふかく有為の功を執して、事相の善をこのむ。かくのごとくのやから、たとひ坐禅すといふとも、たちまちに仏法を証得せんや。」