坐禅儀の巻は寛元元年(1243)冬11月に越州吉田県なる吉峰精舎において衆にしめされた。坐禅箴の巻も衆に示されたのも寛元元年冬11月越州吉田県なる吉峰精舎においてであった。同じ日あるいは日をつらねて続いて衆に開示せられたこととなろう。坐禅儀とはなにか坐禅箴とはなにか、この二つの務内容は別々のものではありえない。この二つを相対してみると、およそ次のようである。先ず坐禅儀といえば、その外面的な儀則・作法を語ることに重点をおいているといえる。例えば「坐禅に静処よろしい、坐蓐あつくすべし、風煙をいらしむることなかれ、雨露をもらしむることなかれ、容身の地を護持すべし
とか「坐禅のとき袈裟をかくべし、蒲団をしくべし、蒲団は、全跏にしくにあらず、跏趺のなかばよりうしろとかいった叙述がその内容の中心をなしている。それに対して坐禅箴というときには、いうなればその内面に指向して、坐禅の心得、坐禅のいましめ、つまり、坐禅のなんたるかを説きいたらんとするものと謂いうるであろう。その内容のことなりは坐禅儀にくらべると、この「坐禅箴の内容をもってすればほぼ明らかということを売るであろう。坐禅箴では、まず、薬山惟儼がある僧の問いに答える言葉が挙げられている「坐ってなにを考えるのですか」とその僧が問うのに対して、、薬山は「不思量底を思量するのだ」と示す。つぎに、江西の馬祖道一が南嶽懐譲の会下にあったころ、「坐禅してどうするのだ」と訊られる。馬祖が作仏を図るのです」と答えると、南嶽は、一片の瓦をひろってきて、石の上で磨きはしめる。そんな逸話もしるされている。やがて、南嶽が馬祖に教えた教誡「なんじ坐禅を学、これ坐仏をまなぶなり」と。さらに、宏智正覚の坐禅箴の全文があげられ、それにも詳細な解説をくわえている。つまりこの坐禅箴の指向するところは、まさに坐禅の内面に向かって沈潜し、そこで坐禅になんたるかを語っているのである。」まさに坐禅箴というものである。」

