坐禅の仕方「参禅は坐禅である。坐禅は静かな処がよろしい。坐のしひものは厚くするがよい。風や煙をいけてはならない。雨露の漏るようなことがあってはならない。身を置くべき場所を確保しなければならない。かって金剛坐に坐し、盤石のうえに座したという先例もある。そんにときにも、すべて厚く敷いて坐ったのである。また、坐するところはあたたかなめがよい。昼も夜もくらくないがよい。冬はあたたかく夏はすずしいがよいのである。もろもろの世縁をを払いすてて、万事を抛げすてるがよい。善きことも思わず、悪しきことも思わないのである。それは心や意や識のことでもなく、念や想や観の問題でもはない。また仏になろうと考えてはならない。坐るの臥するのといったことも思いはなつがよい。飲食は量を説するががよく、時間は大事にして無駄にしてはならない。なにはともあれ坐禅をこのむがよい。黄梅山の五祖もそうであった。ただ坐禅につとめるのみであった。」(道元:正法眼蔵)
原文「参禅は坐禅なり。坐禅は静処よろし。坐蓐あつくしべし。風烟をいらしむることなかれ、雨露をもらしむることなかれ。容身りの地を護持すべし。かって金剛のうへに坐し、盤石のうへに座する蹤跡あり。、かれらみな草をあつくしきて坐せしなり。坐処あたたかなるべし、昼夜くらかざれ。冬暖夏涼をその術とせり。諸縁を放捨し、万事を休息すべし。善也不思量なり、悪也不思量なり。心意識にあらず、念想観にあらず。作仏を図することなかれ。坐臥を脱落すべし。飲食を節量すべし、光陰を護惜すべし。頭燃を4はらふがごとく坐禅をこのむべし。黄梅山の五祖ことなるいとなみなし、唯務坐禅のみなり。」
「金剛」仏陀の菩提樹下における坐を金剛座というによるのである。「念想観」念(心の動き)想(表象をつくること)観察(明らかにみること)。「頭燃をはらう」頭についた火を払うの意。いそいですること。

