「十方の仏土は法華」「それがいまこの世に出現し、この国に行われている。青原の仏法がいまに伝わり、南嶽の法門がこの世に行われてのも、みな如来の如実知見である。それこそまさにただ仏と仏の究尽であり、、仏仏直々の開示であり悟入である。それもまた法華のおのずから転ずるところと知られる。これをまた「妙法蓮華教」となづけるのである。菩薩に教うるの法である。そこでは、諸方と打ち出すのであるから、その法華の国土には、霊山があり、虚空があり、大海があり、大地がある。それがつまり実相であって、それを語るに、如是といい、仏の知見といい、世間は常住なりといい、あるいは如実と語り、如実と語り、如来の寿量と語り、甚深無量と語り、諸行無常と語り、法華三昧と語り、釈迦牟尼仏と語る。それらがすべて法華を転ずることであり、法華の転ずるところであり、正法眼蔵・涅槃妙心であり、仏がこの世に身を投じて衆生を度するのであり、さらに成仏の予言をとどめてその保証となしているのである。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
原文「いま出現於此世なり。出現於此なり。青原の仏風いまにつたはれり、南嶽の法門よに開演すめ、みな如来如実知見なり。まことに唯仏世仏の究尽なり。嫡仏仏嫡の開示悟入なりと法華転すべし。これを妙法蓮華経ともなずく、教菩薩法なり。これを諸法となづれきたれるゆゑに、法華を国土として、霊山も虚空もあり、大海もあり、大地もあり。これはすなはち実相なり、如是なり。法住法位なり、一大事因縁なり。仏之知見なり、世相常住なり。如実なり、如来寿量なり。甚深無量なり、諸行無常なり。法華三昧なり、釈迦牟尼仏なり。転法華なり、法華転なり。正法眼蔵・涅槃妙心なり、現身度生なり。授記作仏なる保任あり、住持あり。」
「如実知見」仏の智慧とはすべてあるがままの相をあるがままに知見したるものに他からないのである。

