• 「転法華の成就)「法華を転ずるとき法華の悟りがあり、悟られた法華がある。たとえば、下方というのはとりも直さず空中である。この下といい空というのがそのまま法華を転ずるのである。あるいは仏の寿量を語るもまたそれである。仏寿や、法華や、法界や、一心は、いずれも下ともなり、空ともなると思い廻らしてみるがよい。だから下方空というは、それがそのまま転法華の成就である。
  • 転法華が成就すると、法華を転じていろいろの草となすこともでき、さまざまの樹となすこともできる。その自覚はまつ要もなく、気が付かないと怪しむこともない。ただ自ずから転じて菩提心のおこるとき、たちまち南方の仏土は出現する。いうまでもなく、その成道は南方霊山の集会において実現する。霊山こそまさに転法華のところである。虚空において十方仏土の諸菩薩が集会するというのも、その転法華の一部である。すでに十方仏土という。もはや一片の微塵も容れる余地はないのである。(道元:正法眼蔵・転法華)
  • 原文「転法華のとき、法華の心悟あるなり、心悟の法華あるなり。あるいは下方といふ、すなはち空中なり。この下この空、すなはち転法華なり、すなはち仏寿量なり。仏寿と法華と法界と一心とは、下とも現成し、空とも現成すると転法華すべし。かるがゆゑに、下方空といふは、すなはち転法華の現成なり。おほよそこのとき、法華を転じて三草ならしむることあり、法華ほ転じて二木ならしむることあり。有覚とまつべきにあらず、無覚とあやしむべきにあらず。自転して発菩提なるとき、すなはち南方なり。この成道、もとより南方に集会する霊山なり、霊山かならず転法華なり。虚空に集会する十方仏土あり、これ転法華の分身なり。すでに十方仏土の転法華す、一微塵のいるべきところなし。(道元:正法眼蔵・法華転法華)