「そこでは、この娑婆世界がそのまま寂光土であると転ぜられる。時には出で、時には退くではない。どうじにまた、彼の寂光土がそのままこの娑婆世界として転ぜられる。もはや生もなく死もないのである。したがって仏の滅度もなく、また在世ということもありえない。その仏は、われらにとって親友であると語られる。さすれば、われもまた仏の親友である。その仏は親友のよしみが忘れがたくして、われらに、警中の珠をあたえ、あるいは衣裏に珠をかけたもうという。その時をよくく究めつくしてみなければならな らぬ。 また、仏前に宝塔ある場面が語られる。その高さ高五百由旬なりという。その塔の中に仏の坐する場面も転ぜられる。その広さは二百五十由旬という。それが地より涌きいで空中にかかる。その場面は心も及ばず、形もみえないが、やがてその宝塔は虚空より下って上にいたる。その場面は眼にみえ、身に触れる。塔の中に霊山があり、霊山に宝塔がある。宝塔は虚空にかかり、虚空は宝塔にかかっているのである。その時、塔の中の古仏は座を霊山の仏にわかち、霊山の仏は塔中の仏のために証言する。(道元:正法眼蔵・法華転法華)
原文「色即是空の転法華あり、若退若出にあらず。空即是色の転法華あり、無有生死なるべし。在世といふべきにあらず、滅度のみにあらんや。われに親友なるは、われも彼に親友なり。親友の礼勤わするべからざるゆゑに、髻珠(けいじゅ)わもあたふ、衣珠をもあたふる時節、よくよく究尽すべし。仏前に宝塔る転法華あり、高五百由旬なり。塔中に仏坐する転法華あり。量二百五十由旬なり。従地涌出、住在空中の転法華あり、心も罣礙なし、色も罣礙なし。従空涌出、住在地中の転法華あり、まなこにもさへらる、身にもさへらる。塔中に霊山あり、霊山に宝塔あり、宝塔は虚空に宝塔し、虚空は宝塔を虚空す。塔中の古仏は座を霊山のほとけにならべ、霊山のほとけは、証を塔中のほとけに証す。(道元:正法眼蔵・法華転法華)

