「志閑の爺と婆」「わしは臨済の爺々のところで半杓をいただき、末山の婆々のところで半杓をいただき、あわせて一尺として頂戴したので、今にいたっても腹いっぱいである。」いま、そのことばを聞き、ひそかに昔日のことを思いしのぶと、末山は高安大愚禅師の高足であって、その相承のちからがあって、志閑の婆となったのである。また、臨済は黄檗希運禅師の法嗣であって、その修行のちからあって、志閑の爺となったのである。爺というは父のこと、婆というのは母のことである。志閑が末山尼了然を礼拝して法を求めたことは、すぐれた志の範例であって、後進のならうべき心掛けというもの。まさにその要を射たるものというべきである。」(道元:正法眼蔵・礼拝骨髄)
原文「われ臨済爺爺のところにして半杓を得ししき。末山嬢嬢のところにして半杓を得しき、ともに一杓につくりて、喫しをはりて、直至如今飽餉(じきしにょこんほうきょうきょう)なり」いまこの路をききて、昔日のあとを慕古するに、末山は高安大愚の神足なり。命脈ちからありて志閑の嬢となる。臨済は黄檗運禅師の嫡嗣なり。功夫ちからありて志閑の爺となる。爺とはちちといふなり。嬢とは、母といふなり。志閑禅師の待つ山尼了然を礼拝求法する。志気の勝燭なり。晩学の慣節なり。撃関破節(げつかんはせつ)といふべし。
撃関破節とは、急処を突くということば。