「三乗ということ」「三乗とは、一には声聞乗である。四諦によって仏道を悟るのである。四諦とは、苦諦・集諦(じつたい)・滅諦・道諦である。それを聞き。それを修して、生・老・病・より脱し、ついに完全なる涅槃にいたるのである。この四諦を修するに、苦諦と乗諦とは世間にかかわること、滅諦と道諦とが絶対真理であるなどというのは、世の論師たちの見解である。いま仏法によって修行するにあたっては、四諦のいずれもすべて、ただ仏と仏とのみが知る境界であり、法のなかにあり、法に安住する境地であり、あるいは実相であり、ふるいは仏性である。したがって、無生だの無作だのと論ずるの要はない。四諦はいずれも総じて要せずである。」(道元:正法眼蔵・仏教)

原文「三乗 一者声聞乗。四諦によりて得道す。四諦といふは、苦諦・乗諦・滅諦・道諦なり。これをきき、これを修するに生老病死を度脱し、般涅槃(はつねはん)を究竟す。この四諦を修行するに、苦・集は俗なり、滅・道は第一義なりといふは、論師の見解なり。もし仏法により修行するがごときは、四諦ともに唯仏与仏なり、四諦ともに法住法位なり。四諦ともに実相なり、四諦ともに仏性なり。このゆゑに、さらに無生無作の論におよばず。四諦ともに総不要なるがゆゑに。(道元:正法眼蔵・仏教)

「苦諦・乗諦・滅諦・道諦」仏祖がその最初の説法において打ち出した四つの命題である。苦諦とは、すべては苦であるということ、集諦とは、その原因は渇愛すなわち激する欲望であるということ。滅諦とは、その渇愛を滅する時、苦もまた滅することをうるということ。道諦とは、その実践項目として、八つの正道をしめしたことをいう。」「般涅槃」完全に煩悩のたかぶりを滅した境地をいう。つまり完全な自由のである。「無生・無作」無生とは、生滅を離れたる境地、無作とは、人間の作為をこえた境地をいう。