[祖意と教意について]「ひとりの僧が巴綾に当ていった。「祖の意と教の意といったい同じでしょうか、それとも別でありましょうか」師はいった「鶏は寒いと樹にのほるし、鴨は寒いと水に入るわい」この言葉をよく学んで、仏道の先徳に相まみえ、仏道の教法を見聞するがよい。いまかの僧が祖意と教意について問うているのは、祖意と祖意とは同じが別かと問うているのである。それに答えて今巴綾が「鶏は寒いと樹にのぼり、鴨は寒いと水に入る」といったのはその異同を語ってはいるけれども、その異同は決して見る者聞く者の受け取り方に一任された異同ではあるまい。つまり、その問題はもともと同じか別かを論ずべきものではないから、そんなことを言ったのであって、まことはこの異同を問うべきものではないといっておるのであろう。」(道元:正法眼蔵・仏教)

原文「巴綾、因僧問「祖意教意、是同是別」師云、「鶏寒上樹、鴨寒入水」この道取を参学して、仏道の祖宗を相見し、仏道の教法を見聞すべきなり。いま祖意教意と問取するは、祖意は祖意と是同是別と問取するなり。いま鶏寒上樹、鴨寒入水といふは、同別を同取すといへども、同別を見取するともがらの見聞に一任する同別にあらざるべし。しかあればすなはち、同別の論にあらざるがゆゑに、同別と同取しつべきなり。このゆゑに同別と同取すべからずといふがごとし」(道元:正法眼蔵・仏教)