{西の方天竺の第十八祖なる伽耶舎多尊者は、摩提国の人である。姓を鬱頭藍という。父の名は天蓋、母の名は方聖。その母は、かってひとりの大神が手に大きな鏡をもって、それに面をうつしている夢をみた。それで懐胎して、七日にしてこの尊者を生んだという。この尊者は、生まれた時から、その肌がみがいた瑠璃のようであって、沐浴もしないのに自然にして奇麗であった。幼いときから閑静をこみ、その言うことは世のつねの童子とちがっていた。また、生まれた時から、一つの円鑑をもっていた。円鑑とは円い鏡のことである。世にもめずらしいことである。だが、生まれた時からというが、鏡も母胎から生まれたのではなく、尊者が母の胎内から生まれたのと時をおなじゅうして、鏡がどこからとなくその身辺に現れて、日常の調度のようになったのである。その鏡は、また、世の常の鏡とことなって、その童子が近づくと、おのずからその両手に捧げたようになるが、しかも童子の面はかくれない。また、童子が去ると、ひとりでに覆せたようになるが、それでも童子のすがたはそのまま残っている。あるいはまた、童子が眠る時には、鏡がその上を覆って花笠のようであり、童子が坐っている時には、いつも鏡がその全面にあった。つまり、一挙一動にいつもその鏡がしたがうのであった。」(道元:正法眼蔵・古鏡)
原文「第十八祖伽那舎多尊者は、西域の摩提国の人なり。姓は鬱頭藍、父名方聖、母名方聖。母氏かって夢見にいはこく、ひとりの大神、おほきなるかがみを持してむかへりと。ちなみに懐胎す。七日ありて師をうめり。師、はじめて生ずるに、肌体みがける瑠璃のごとし。いまだかって洗浴せざるに、自然に香潔なり。いとけなくより閑静をこのむ。言語よのつねの童子にことなり。うまれしより、一の淨明の円鑑おのづから同生せり。円鑑とは円鏡なり、奇代の事なり。同生せりといふは、円鑑も母氏の胎よりうめるにあらず。師は胎生、師の出胎する同事に、円鑑きたりて、天真として師のほとりに現前して、ひごろの調度のごとくありしなり。この円鑑、その儀よのつねにあらず。童子むかひきたるには、円鑑を両手にささげきたるがごとし。しかあれども、童面かくれず。童子さりゆくには、円鑑をおうてさりゆくがごとし。しかあれども、童身かくれず。童子睡眠するときは、円鑑そのうへにおほふ。たとへば華蓋のごとし。童子端坐のときは、円鑑その全面にあり。ゆほよそ動容進止にあひしたがふなり。」(道元:正法眼蔵・古鏡)

