仏性の本質3「まさに知るがよい。時節もし至らばとは、寸分の時も空しく過ごしてはならぬということであり、もし至らばとは、すでに至るというに同じである。もし時いたらばと待つならば、仏性はついてに至らぬであろう。かくして、時すでに至れりとあらば、それこそ仏性の現れでふる。あるいは、その理もおのずから明らかなのである。およそ、時至らぬ時というものはなく、仏性の現前せざる仏性というものはないのである。(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「しるべし、時節若至は、十二時中不空過なり。若至は既至といはんがごとし。時節若至すれば、仏性不至なり。しかあればすなはち、時節すでにいたれば、これ仏性の現前なり。あるいはその理自彰なり。おほよそ、時節の若至せざる時節いまだあらず、仏性の現前せざる仏性あらざるなり。」(道元:正法眼蔵・仏性)

