四祖と五祖の問答2」そこでその祖師たちのことばを研究してみると、四祖は「汝はなんという姓か」といった。それにも意味があるのである。むかしは、どこの国の者で、なんの姓の者かということで、なんじの姓はなにかというのである。たとえば、吾もまたかくのことし、汝もまたかくのごとしというようなものである。五祖は答えて「姓は有であります。これは常の姓ではありません」といった。いうところの有が姓とはつねの姓ではない。有てはつねり姓にはならない。四祖は「これはいったい、なんの姓か」といった。その意味は、「なに」というは「これ」を指している。「これ」を「なに」と問うのである。それが姓である。「なに」と問わしめるのは「これ」ゆえであり、「これ」ならしめるのは「なに」のはたらきである。つまり、姓は「これ」であり、また「なに」である。蒿湯もそれであり、茶湯もそうである。それが日常茶飯のことなのである。」(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「しかあればすなはち、祖師の道取るを参究するに、四祖いはく汝何姓は、その宗旨あり。むかしは何国人の人あり、何姓の姓あり、なんじは何姓と為説するなり。たとへば吾亦如是、汝亦如是と道取するがごとし。五祖いはく、「姓即有、付是常姓」。いはゆるは、有即姓は常姓にあらず。常姓は即有に不是なり。四祖いはく是何姓は、何(か)は是なり、是を何しきたれり、これ姓なり。何ならしむるは是のゆゑなり、是ならしむるは何の能なり。姓は是也何也なり。これを蒿湯にも点ず、茶湯にも点ず、家常の茶飯ともするなり。」(道元:正法眼蔵・仏性)

