「四祖と五祖の問答。「しかるに、五祖は「これは仏性であります」といった。そのいう意味は、「これ」は仏性であるというのである。「なに」のゆえに仏であるかを答えているのである。そこでは、「これ」はなにの姓かだけでは究めつくせない。「これ」がすでに「これでない」ときに仏性なのである。だからして、「これ」は「なに」である。仏であるといっても、それはすでに「これ」を脱(はず)れ落ち、突き抜けているが、それでもやはり姓である。その姓は周氏である。だがしかし、彼は「これ」を父に受けたものでもはない。祖先に受けたのでもない。母に似ているからでもない。比していうべきものはないのである。」(道元:正法眼蔵・仏性)

「五祖いはく、「是仏性」いはくの宗旨は、是は仏性なりとなり。何のゆへに仏なるなり。是は何姓のみに究取しきたらんや。是すでに不是のとき仏性なり。しかあればすなはち、是は何なり、仏なりといへども、脱落しきたり4,透脱しきたるに、かならず姓なり。その姓すなわち周にり。しかあれども、父にうけず、祖にうけず、母氏に相似ならず、傍観に斉肩ならんや。」(道元:正法眼蔵・仏性)