四祖と五祖の問答「四祖は「汝に仏性なし」といった。そのことばは、汝が誰であろうと、それは汝にまかせておくが、仏性はないのだよというのであるそれは、いったい、いまいかなる時なれば、「仏性なし」というのであるか。とくと考究してみなければならぬ。仏頭をゆびさして仏性なしとするか、仏心をもって無仏性となすか。融通無礙なるのを塞いではならぬ、手探りで探しまわってはならぬ。無仏性とは一時の三昧の境地であると学ぶこともある。さらには、仏性が実を結んで仏と成る無仏性であるか、それとも仏性花ひらいて発心するのとき無仏性なるかと、問うてみるもよく、また説いてみるもよい。法堂の柱にむかって問うてみるもよく、問われてみるもよく、あるいは仏性をして問わしめるもよい。」(道元:正法眼蔵・仏性)

原文「四祖いはく「汝無仏性」。いはゆる道取は、汝はたれにあらず、汝に一任すれども、無仏性なりと開演するなり。しるべし、学すべし、いまはいかなる時節にして無仏性なるぞ。仏頭にして(ぶつとう)にして無仏性なるか、仏向上にして無仏性なるか。七通を逼塞することなかれ、八通を模索することなかれ。無仏性は一時の三昧なりと修習することもあり。仏性成仏のとき無仏性なるか、仏性発心のとき無仏性なるかと問取すべし、道取ずし。露柱をしても問取せしむべし、露柱にも問取すべし。仏性をしても問取せしむべし。」(道元:正法眼蔵・仏性)