いったい仏性の道理は、これを明確につかんだ先達はすくない。それは、もろもろの小乗の徒輩や、経師や論師の知りうるところではない。ただ仏祖の流れを汲むもののみがそれを伝え来たっておる。仏性というものは、成仏以前に身に具わっているものではなく、仏となってはじめて具わる。仏性はかならず成仏にともなう。その道理をよく学びよく究めるがよい。二十年喪三十年もかけて工夫しかつ学がよい。修行の途中にある者が知りうるところではない。いま衆生に仏性ありといい、また衆生に仏性なしというは、この道理によるのであり、それは成仏以来はじめて具足するのだと学がのが正しいのである。そのように学ばないのは仏法ではあるまい。でなかったならば、仏法は到底今日に到りえなかったであろう。もしこの道理を知らなかったならば、成仏もわかるまい、聞くことも見ることもないのである。」(道元:正法眼蔵・仏性)
原文「おほよそ仏性の道理、あきらむる先達すくなし。緒阿笈魔教および経論師のしるべきにあらす、仏祖の児孫のみ単伝するなり。仏性の道理は、仏性は成仏よりさきに具足せるにあらず、成仏よりのちに具足するなり。仏性かならず成仏と同参するなり。この道理よくよく参究功夫すべし、三二十年も功夫参学すべし。十聖三賢のあきらむるところにあらず。衆生有仏性と道取する、この道理なり。成仏以来に具足する法なりと参学する、正的(しょうてき)なり。かくのごとく学せざるは、仏法にあらざるべし。かくのごとく学せずば、仏法あへて今日にいたるべからず。もしこの道理あきらめざるには、成仏あきらめず、見聞せざるなり。」(道元:正法眼蔵・仏性)

