「しかるに、ちょっとばかり無生ということばを聞いただけで、その意味をたずねようともせず、わが身心をあてて工夫しょうともしないものがある。それは愚鈍もはなはだしいものであって、信機か法機か、頓機か、漸機かを論ずるにも及ばぬ畜生のたぐいといわねばなるまい。なでならば、たとい無生ということばを聞いても、そのいう意味はどういうことかとも思わないからである。さらに一歩すすめていえば、無仏とか、無道とか、無滅とかいうこともできるかどうか。また、無無生ということはできないか。あるいは、無法界・無法性とはどうか。あるいはまた、無死ということはありえないどうか。考えてみることはいろいろとあるのに、彼等は一同に考えてみようともしない。それは、ただいたずらに、わが身を養う水や草のことのみを念頭にかけているからである。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
原文「わづかに無生の言句をききてあきらむることなく、身心の功夫をさしおくがごとくするものもあり。これ愚鈍のはなはだしきなり、信法頓漸の論にもおよばざる畜類といひぬべし。ゆゑにいかんとなれば、たとひ無生のときくといふとも、この道得の意旨作麼なるべし。さらに無仏・無道・無心・無滅なるべしや、無法界・無法性なるべしや、無死なるべしやと功夫せず、いたづらに水草担念なるがゆゑなり。」(道元:正法眼蔵・仏性威儀)

