「そのことばの意を究めてもると、極大は小に同じく、極小は大に同じゅうして、仏をも祖をも超越しているのだと知られる。ただの大なる存在でもなく、また小さなる存在でもないとえば、おかしいようであるが、それが威儀を行ずる仏である。もろもろの仏祖が語ってきた「尽乾坤の威儀」といい、「尽大地の威儀」というのは、いずれもこのあるがままの、見るかきりの世界のことだと学ぶべきである。このあまねき世界は、ただ「かって覆蔵せず」というだけではない。またそれが行ずる仏の威儀にぴたりと中るのである。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

原文「この得道は、極大同小、極小同大の超仏越祖なるなり。大の有にあらざる、小の有にあらざる、擬著ににたりといへども、威儀行仏なり。仏仏祖祖の道趣する尽乾坤の威儀、尽大地の威儀、ともに不曾蔵(ふそうぞう)を徧界と参学すべし。徧界不曾蔵なるのみにあらざるなり。これ行仏一中の威儀なり。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

「不曾蔵」とは、この全世界はつねにさのあるがままの相を露呈しているのであってなんの蔵すところがないとするの意。