「それは十聖・三賢など仏道の修行者もはっきりと知らないこと。ましてや、人間や諸天の推量のおよぶところではあるまい。人小なればその知るところも小さく、命みじかければ、その思量もまた短いという。それでどうしてか、行仏のなすところを測り知ることができようか。だから、わずかに人間の世界のみをあげてこれを仏法とし、あるいは、この世の人と物とのみをあげて仏法を小さく局限するのは、いずれも仏者としては許されないことである。そのような人はただ業の報いによって人として生まれたにすぎず、まだまだ身心をかたむけた聞法もなく、また、仏道を行じきたってその身心があるのでもない。それは法によって生まれたのでもなく、法によって滅したのでもなく、あるいは法による見でもなく、法による聞でもなく、また法による行住坐臥でもない。そのような徒輩は、とても仏法の恩沢をこうむることはできまい。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

原文「十聖三権なほこれをしらずあきらめず、いはんや人中天上の測量のおよぶことあらんや。人量短小なるには、識智も短小なり。寿命短促なるには、思量も短促なり。いかにしてか行仏の威儀を測量せん。しかあればすなはち、ただ人間を挙して仏法とし、人法を挙して仏法を局量せる家門、かれこれともに仏子と許可することなかれ。これただ業報の衆生なり。いまだ身心の聞法あるにあらず、いまだ行道せる身心なし。従法生にあらず、従法滅にあらず、従法見にあらず、従法聞にあらず、従法行住坐臥にあらず。かくのごとくの党類、かって法の潤益なし。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)