「その思うがままの道理を、よく心にあてて究めるがよい。よろしく努めて思いめぐらせば、万物のありようがすっと心に浮かんできて、三界などというのは心の分かつところだと気がつく。そう気がついてみると、万法などというのもまた、おのれの故里に帰っただけのことであって、それはつまりその人のいとなみに他ならぬのである。だからして、翻ってそれを句中にもとめ、言外にさぐるなど、繰り返し繰り返ししてふかく沈潜して撈(すく)うてみるならば、把握してなおあまりがあり、放念してまたあまりがあるであろう。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
原文「この任任の道理、すべからく心を参究すべきなり。その砂丘の兀爾(こつじ)は、万回これ心の明白なり、三界ただ心の大隔(だいかく)にりと知及し会取す。この知及会取、さらに万法なりといへども、自己の家郷を行取せり、当人の活計を便是(べんし)なり。しかあれば、句中取則し、言外求巧(ぐぎょう)する再三撈摝(ろうろく)、それ把定にあまれる把定あり。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
「兀爾「とは努めて休まないさま。一心に励むさま。「万回」とは万法の意か。「三界ただ心の大隔」 三界とは欲界(人間の欲望の世界)、色界(物質・現象の世界)、無色界(叡智抽象の世界)そのような世界があるなどというのも、ただ心の分かち考えるところに他ならずというのである。

