「この振る舞うところのひとつひとつは、容易に領会しがたい。なにか活き活きとしているが、なんの統一もなくばらばらである。それはいったい、一本のものか、別々のものか。一本のものといおうとすれば先もなく後もなく、別々のものかと思えば自他の別がない。ただそこには「事を展(の)べ、機に投ず」るの力があり工夫があるから、その威風は万法を掩(おお)うのであり、その眼光は一世を抜きいでている。いったい、光明には、光りを放つ放たぬ光明がある。僧堂・仏殿・廚庫・山門がある。さらに、十方に通ずる眼があり、大地を悉く収める眼がある。それは心の前にあり、また心の後ろにある。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根は、そのような光明の功徳のさかんなものであるが、それを知らずして身につけている三世のもろもろの仏たちがあり、また、知って機に投ずる狐狸のたぐいもある。その鼻があり、その目があるならば、法を説くも、法を聴くも、すべて行仏ということをうるであろう。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
原文「この威儀、ただこれ面面の不会なり、たとひ活潑地も条条にいなり。一条鉄か、両頭動か。一条鉄は長短にあらず、両頭は自他にあらず。この展事投機のちから功夫をうるに、威掩万法なり。眼高一世なり。収放をえざる光明あり、僧堂・仏殿・廚庫・山門。さらに収放にあらざる光明あり、僧堂・仏殿・廚庫・山門なり。さらに十方通のまなこあり、大地全収のまなこあり。心のまへあり。心のうしろあり。かくのごとくの眼耳鼻舌身意、光明功徳の熾然なるゆゑに、不知有を保任せる三世諸仏あり、却知有を投機せる貍奴白牯(りぬはくく)あり。この巴鼻(はび)あり。この眼睛あるは、法の行仏をとき、法の行仏をゆるすなり。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
「条条にい」ただ統一も無くそのままの様の意。「展事投機」文字を超えて機微を摑むの意

