「さらに、沙門にかかる一隻眼の開けきたるとき、ただに目前の事、目前の物を見るのみならず、また、おらずからにして、悠揚たる破顔があり瞬目がある。それも行仏のしばしの威儀というものであるる。その時、彼れはもはや、物に引かれるでもなく、物を率くでもない。事情のなるがままに任せて、無生・無作なるでもない。あるいは、本性のあるがままに任せるのでもなく、物のあるがままに委ねるのでもなく、もとより然るにもあらず、あるがままを是とするのでもなく、だ仏の威儀を行ずる仏としてあるのみである。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

原文「

「さらに沙門一隻眼の開明なるに、不是目前法なり不是目前事なり。、雍容の破顔あり、瞬目あり。これ行仏の威儀の暫爾なり。被物牽にあらず。不物牽くなり。縁起の無生無作ににあらず、本性法性にあらず。住法位にあらず、本有念にあらず。如是を是するのみにあらず、ただ威儀行仏なるのみなり。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)