「その工夫は、生とはいかに、死とはいかに、身心とはいったい何か、あるいは、与うる奪うというのはどういうことか、思うにまかせるといい任せぬというはどういうことか、あるいはまた、それらのことは、おなじ門を出入りしながらも相逢わないのか、一つのものが時に身を蔵し、時に角を露わすのか、それとも、大いなる頭脳にして初めて解しうるのか、老熟した思慮をもってはじめて知りうるのか、さらにまた、一顆明珠というものか、一大蔵経というものであるか、あるいは一本の拄杖(しゅじょう)なのか、一人の面目なのか、また、それが解るのが幾十年もの後のことか、時の長い短いには関係のないことかと、つぶさに思いいたり思い来るがよい。その思いをつぶさにして、はしめて眼いっぱいに声を聞くことができ、耳いっぱいに物を見ることができる。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
原文「その功夫は、いかなるかこれ生、いかなるかこれ死、いかなるかこれ身心、いかなるかこれ与奪、いかなるかこれ任違。それ同門出入の布相逢なるか、一著落在に蔵身露角なるか。大慮而解なるか、老思而知なるか。一顆明珠なるか、一大蔵経なるか。一条拄杖なるか、一枚面目なるか。三十年後なるか、一念万年なるか。子細に撿点し、撿点を子細にすべし。撿点の子細にあたりて、満眼聞声、満耳見色。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

