「大神通と小神通」「仏教の神通を知ろうとするならば、この大潙のことばをよく学がよい。まず、「ちっぽけな神通とはちがう」という。だから、これを学というのが仏教を学ぶというもの。これを学ばずしては仏教を学ぶとはいえないというのであろう。つまり、仏祖の相伝してきた神通の智慧なのである。これを措いて、別に、西の方天竺の外道や小乗のやからのいう神通や、あるいは、論師などの学ぶところを学べきではないさて。、いま大潙がおこなった神通は、それが最高のものとはいえ、なお一連の場面・問答があった。つまり、大潙が横臥しているところからはじまって、面をめぐらして壁の方をむくところがあり、起きようとするところがあり、「おお慧寂よ」と呼ぶところがあり、夢の話をする場面があり、また洗面をおわってやっと坐につく場面があった。また、仰山の方でも、頭を垂れて聴くところがあり、盆に水を入れ、手巾をそえて持ってくるところがあった。それを大潙は「いましがた、わたしは、慧寂と一場の神通を行じていたところだ」という。この神通を学がよいのである。」(道元:正法眼蔵・神通)

原文「仏家の神道をしらんとおもはば、大潙の道取を参学すべし。不同小小のゆゑに、作是学者、名為仏学、不是学者、不名仏学なるべし。嫡嫡相伝せる神通智恵なり、さらに西天竺国の外道二乗の神通、及び論師等の所学を学することなかれ。いま大潙の神通を学するに、無上なりといへども、一上の見聞あり。いはゆる、臥次よりこのかた、転面向壁臥あり、起勢あり、召寂子あり、説箇夢あり、洗面了纔坐あり。仰山低頭聴あり、盆水来手巾ありむ。しかあるを、大潙いはく、われ適来寂子と一上の神通をなすと。この神通を学すべし。」(道元:正法眼蔵・神通)

解説「平常の喫茶喫飯のなかに最高の神通・奇跡をみるものこそが、真に仏者であろうと思う。この章の骨子」