「この大神通のちからを蒙って、小神通などもあるのである。だから、だから、大神通は小神通を包摂する。だか、小神通は大神通を知らないのである。その小神通とは、いうところの「毛が大いなる海を呑み、芥(からし)が須弥山を納める」というたぐいであり、また、「頭上に水をいだし、脚下に火を生ぜしめる」といったたぐいであり、また、五通・六通などというもみな小神通である。それらを修するやからには、仏の神通はいまだ夢にも見聞しがたいところであろう。五通・六通を小神通というのは、それらは修行のいかんにかかわるものであり、また、時と処によって制限があるからである。生きている時には現ずるが、死後には現じないのであり、自己には通ずるが他人には通じないのであり、この土においては現れるが、彼の土には現れないのであり、常ならぬ時には現れるけども、日常の時にはあらわれないのである。」(道元:正法眼蔵・神通)
原文「この大神通のちからにおほはれて、小神通等もあるなり。大神通は小神通を接す、小神通は大神通をしらず。小神通といふは、いはゆる、毛呑巨海(もうたんこかい)、芥納須弥(けのうしゆみ)なり。またこの身上出水、身下出火等なり。また五通・六通、みな小神通なり。これらのやから、仏神通は夢也見聞在なり。五通・六通を小神通といふことは、五通・六通に修証に染汙(ぜんな)せられ、際断を時処にうるなり。在生にありて身後に現ぜず、自己にありて他人にあらず、此土に現ずといへども他土に現ぜず、不現に現ずといへども現時に現ずることをえず。」(道元:正法眼蔵・神通)

