曹谿大師の言「曹谿大師はいた。「ただこのなにものにも礙げられないこと、これがもろもろの仏の護り念ずるところである。そなたもそうだ。わしもそうだ。また、西天の祖師方もそうであった」とするならば、「そなた」も「そう」であるゆえに諸仏であり、「わし」もまた「そう」であるから諸仏である。それは、まことにわれにあらず、汝にあらずして、ただその「何ものにも礙げられないこと」をわれもまた諸仏の護念するがごとく護念する。それは仏の律儀を行すめのである。また汝も諸仏の念ずるところを護り念ずる。それは仏の作法を行ずるのである。「われもまた」であるからその師はすぐれ、「汝もまた」であるからその弟子はつよく、師すぐり弟子つよくして、それで行仏の智慧と実践とは充足しているのである。つまり、われもまた、汝もまた、仏の護念するところを護念する者となるのだとしられる。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

原文「曹谿いはく「祇此不染め汗、是諸仏之所護念、汝亦如是、吾亦如是、乃至西天諸祖亦如是」しかあればすなはち、汝亦如是ゆゑに諸仏なり。吾亦如是のゆゑに諸仏なり。まことに、われにあらず、なんぢにあらず。この不染汗に如吾是吾、諸仏所護念、これ行仏威儀なり。如汝是0汝、諸仏所護念、これ行仏威儀なり。吾亦のゆゑに師勝なり、汝亦のゆゑに資強なり、師強資強、これ行仏の明行足なり。しるべし、是諸仏之所護念と、吾亦なり、汝亦なり。」(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

「明行足」とは、もと仏十号の一である。明とは智慧を意味し、行は実践の意である。足は具足すなわち身二付けることの意。