「この十二部は、いずれも経と称する。したがって十二分教ともいい、また十二部経ともいうのである。この十二部の教えは、それざれまた十二の教えを兼ねそなえているのであるから、そりはまた百四十四分教である。とともに、十二分教がそれぞれ十二分教を兼ねふくんでいるから、それはまた一分教である。だがしかし、それは幾億幾千万といった数にのぼるものではない。それらはみな、仏祖の眼睛であり、仏祖の骨髄であり、仏祖のいとなみであり、その光明であり、その光輝であり、その造りなす国土である。したがって、十二分教をみることは仏祖にまみえることであり、また仏祖を語ることは、十二分教を語ることにほかならない。」(道元:正法眼蔵・仏教)
原文「この十二、おのおの経と称す。十二分教ともいひ、十二部経ともいふなり。十二分教おのおの十二分教を具足せるゆゑに、一百四十四分教なり。十二分教おのおの十二分教を兼含せるゆゑに、ただ一分教なり。しかあれども、億前億後の数量にあらず、これみな仏祖の眼睛なり、仏祖の骨髄なり、仏祖の家業なり、仏祖の光明なり、仏祖の荘厳なり、仏祖の国土なり。十二分教をみるは仏祖をみるなり、仏祖を道取するは十二分教を道取するなり。」(道元:正法眼蔵・仏教

