「九部教について」「また九部教というのがある。九部教といってもよい。一には修多羅・二つには伽陀・三には本事・四には本生・五には未曾有・六には因縁・七には譬喩・八には祇夜・九には優婆提舎・この九部には、それぞれまた九部を含んでいるから、八十一である。その九部はまたそれぞれ一部を形成しているから九部である。この一部に帰する特徴がなかったならば、九部であるはずはない。この一部に帰する特徴があるから、一部が一部に帰するのである。それを開けば八十一部となるのである。そこには、この部があり、わが部があり、払子部があり、挂杖(しゅじょう)部があり、また正法眼蔵部がある。」(道元:正法眼蔵・仏教)
原文「あるいは、九部といふあり、九部教といふべきなり。九部 一者修多羅・二者者伽陀・三者本事・四者本生・五者未曾有・六者因縁・七者譬喩・八者祇夜・九祇夜優婆提舎 この九部、おのおの九部をを具足するがゆゑに、八十一ぶなり。この九部おのおの一部を具足するがゆゑに、九部なり。帰一部の功徳あらずぱ、九部なるべからず。帰一部の功徳あるがゆゑに、一部帰一部なり。このゆゑに八十一部なり。此部なり。我部なり。払子部なり、挂杖部なり、正法眼蔵なり。」(道元:正法眼蔵・仏教
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