「釈迦牟尼仏はいった。「わがこの九部の法は、衆生に随順して説いたものである。大乗(だいしゅ)に入るにはこれを本とする。こその故をもってこの教を説くのである。」よって知るがよい。われといい、かれというのは、如来その人である。かくて、そこに如来の面目があらわれ、そま身心が現れてくるのである。その「われ」が説く「この」法がいまいうところの九部の法である。とするならば、その九部の法は「わが」説く「この」法にほかならない。いまの釈迦牟尼仏の一句一偈が九部の法であり、「わが」説く「この」法であるから、「また衆生に随順して説く」のである。しかるとすれば、すべて生きとし生くる者の生はここより生ずる。それがそのままこの経を説くことである。あるいは生きとし生きる者の死はここより死する。それがそのままこの教を説くことである。あるいはまた、衆生のかりそめの心の動きも、そのままこの経をとくことである。詮ずるところ、一切の衆生を化してみな仏道に入らしめる、それがとりもなおさずこの経を説く所以である。」(道元:正法眼蔵・仏教)

原文「釈迦牟尼仏言「我此九部法、随順衆生説。入大乗為本、以故説是経」しるべし、我此すでに九部法なり、九部法すなはち我此なるべし。いまの一句一偈は九部法なり、我此なるがゆゑに随従衆生説なり。しかあればすなはち、一切衆生の生従這裏生、すなはち、説是経なり。乃至造次動容、すなはち説是経なり。化一切衆生、皆令入仏道、すなはち説是経なり。」(道元:正法眼蔵・仏教)