一粒の芥(からし)だねがそのなかに須弥山を法蔵するなどというのも、また、おなじことである。芥だねの一粒が、須弥山を吐くのであり、あるいは、かぎりなき海のごときこの世界を現ずるのである。一毛が巨海を吐き、一粒の芥だねが巨海を吐くには、一瞬して吐くのであり、万劫(ばんごう)にわたって吐くのである。万劫も一瞬も、おなじく一毛一芥より吐かれるものならば、一毛一芥はいったいそれを何によって得来るのであるか。それは、とりもなおさず神通によって得るのである。その得るというは、神通によるのであるから、まさに神通が神通を生むのである。かくてこの神通は、過去と現在と未来にわたって、存すると存せないの別はないとしるべきである。もろもろの仏は、いつもこの神通のなかに悠々自適しているのである。」(道元:正法眼蔵・神通)
原文「芥納須弥等もまたかくのごとし。芥吐須弥および芥現法界、無尽蔵海にてもあるなり。毛吐巨海、芥吐巨海するに、一念にも吐劫す、万劫にも吐劫するなり。万劫・一念おなじく毛芥より吐却せるがゆゑに。毛芥ははさらになによりか得せる、すなはち神通より得せるなり。この得すなはち神通なるがゆゑに、ただまさに神通の神通を出生するのみなり。さらに三世の存没あらずと学すべきなり。諸仏はこの神通のみに遊戯するなり。」(道元:正法眼蔵・神通)

