「いったい徳山は、それから以後もたいした勝れたところがあったとは思われない。ただあらあらしいかりそめの行動のみでせあった。ながいあいだ龍譚にいたことだから師匠の角を挫くことだってありえただろうし、顋(あぎと)の殊を頂戴する時だってあったはずだが、わずかに紙燭(しそく)を吹き消しただけのことで、燈を伝えるにたりなかった。されば、学道の雲水はかならず力を尽くして学ぶがよい。やすやすと思っては駄目である。力を尽くしてのが仏祖である。そもそも不可心得とは、画餅一枚を買いきたって、それを一口に咬み砕き、かち、よくよく味わうことなのである。正法眼蔵 心不可得 この時、仁治二年夏安居 擁州(京都)宇治郡観音導利興聖宝林寺にて、衆に示す。」

原文「おほよそ徳山はそれよりのちも、させる発明ありともみえず、ただあらあらしき造次のもなり。ひさしく龍譚にとぶらひせば、頭角触折することもあらまし、頷珠を正伝する時節にもあはし。わづかに吹滅紙燭をみる、伝燈に不足なり。しかあれば、参学の雲水、かならず勤学(ごくがく)なるべし。容易にせしは不是なり、勤学なりしは仏祖なり。おほよそ不可心得とは画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽(こうじやくしやくじん)するをいふ。正法眼蔵 心不可得 爾時仁治二年辛丑夏安居、于擁州宇治郡観音導利興聖宝林寺示衆。」