「しかるに玄沙は「火焔が三世もろもろの仏たちのために法を説けば、三世もろもろの仏たちは地にたたずんでそれを聴く」といった。その表現をきいて、玄沙のことばは雪峰のそれよりも優れているなどというのは必ずしも正しくない。雪峰ことばと玄沙のことばは、別のことを言ったものとしらねばならない。つまり、雪峰は、三世の諸仏が大いなる法輪を転ずる場処について語っているのであり、玄沙は、三世の諸仏が法を聴くことについていっておるのである。」(道元:正法眼蔵・生死)