「水を運び柴をはこぶ」「

龐居士(ほうこじ)は禅門の偉物である。江西の馬祖、並びに石頭和尚のもとにいたって学び、また、ややくの師家に交わりがあった。ある時、石頭に問うて答えた。「神通の妙用は、運水にあり、搬柴にある」この道理をよくよく思いめぐらしてみるがよい。運水とは水をはこぶことである。自分で運ぶこともあり、人に汲ませることもあろうが、いずれにしても、それが神通を行ずる物である。そうと気がつき時もあり、気づかぬ時もあろうけれども、すべて神通は神通である。人が知らないからとて、そのことが無くなるでもなく、駄目になるわけでもない。人は知らなくとも、そのことは自ずからにして然るのである。水を運ぶことが神通とは知らなくとも、運水が神通であることには何のかわりもない。」(道元:正法眼蔵・神通)

原文「龐居士蘊公は、祖席の偉人なり。江西・石頭の両席に参学せるのみにあらず、有道の宗師におほく相見し、相逢しきたる。あるときいはく、「神通并妙用、運水及搬柴」この道理、よくよく参学すべし。いはゆる運水とし、水を運載しきたるなり。自作自為あり、他作教他ありて水を運載せしむ。これすなはち神通仏なり。しることは有時なりといへども、神通はこれ神通なり。人のしらざるには、その法の廃するにあらず。その法の滅するにあらず。人はしらざれども、法は法爾(ほうに)なり。運水の神通なりとしらざれども、神通の運水なるは不退なり。」