「徳山は、はじめ大した男ではなかったが、「金剛経」に通じていた。時の人々は彼を「周金剛王」と称した。その経を専門とする八百余人のなかの王だというのである。殊に青竜の注疏によく通じていたほか、さらに十二荷の注釈書を集録していた。肩を並べる学者もなかった。しかるに、ふと南方に無上の仏道を相承するものがあると聞き及んで、書簡を携え、山河を渉って行った。龍譚にいたる道のはたで休息している時、一人の老婆がやってきた。徳山は問うていった。徳山はその老婆に対し問うた。「あんたは何をする人か」老婆はこたえた。「わたしは餅売りの婆じゃ」徳山はいった。「では、わたしに餅を売ってくれないか」老婆はいった。「和尚は餅を買ってどうなさる」徳山は言った。「餅を買って点心にしたい」老婆は言った。「和尚はだいぶ荷物を持っておられるが、それは何んですか」徳山は言った。「知らないか。わしは周金剛王といわれる。「金剛経」の学者で「金剛経」のことなら何でも知っている。この荷物は、その「金剛経」の注釈書なのだ」老婆は言った「ではわたしに一つ問いたいことがある。いいですか」徳山は言った。「いいとも何でも問いなさい」老婆は言った。「わたしは、あるとき金剛経を聞いたことがある。そのなかに、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得とありました。いま和尚は餅を買って、いずれの心を点じようとなさるのか。和尚がもし見事に答えたら餅を売りましょう。答えができないなら餅を売るわけにはゆきません。」徳山は、その問いをまえにしてただ茫然、答うるすべをしらなかった。そこで老婆は袖を払って去った。なんとしたことか、数百巻の注釈書の主、数十年に亘って研究してきた学者が、わずんかに一老婆の問いに遇って、たちまちに窮して答うるところを知らなかったという。それは正師にまみえ、正師を相承して、正法を聴いた者と、正師にまみえず、正法を聴かない者とでは、そこには遥かな違いがあって、こんなことともなるのである。「不可得」というこどを聞けば、ただ誰も得ることができないということだと解する。それではいっこうに生きてこないのである。あるいは、得べからずといえば、もともとそれが身にそなわっているからだと思う人もあるであろう。それもまるで見当はずれである。徳山はその時はじめて、画に描いた餅は飢えを充たすことができないことを悟った。また、仏道の修行はかならずその人に会わねばならぬことを思い知った。あるいはまた、ただいたずらに経典にのみ拘わっているのが真の力をうべき道ではないことを思い知った。そこで彼は、ついに龍譚にいたって師弟の礼をとった。それによって徳山が徳山となったのである。かくて、彼はやがて雲門や法眼の祖となるにいたったのみではなく、また、この世の道師ともなることをえたのである。(道元:正法眼蔵・心不可得)

原文「徳山のそのかみ不丈夫なりしとき、金剛経に長ぜりき。とくの人、これを周金剛王と称しき。八百余家のなかの王なり。ことに青竜の疏をよくせるのみにあらず、さらに十二担の書籍を釈集せり。斉肩の講者あることなし。ちなみに南方に無上道の嫡嫡相承せるありとききて、書をたづさえて山川をわたりゆく。龍譚にいたらんとするみちのひだりに歇息するに、婆子きたりあふ。徳山とふ。「汝はこれなに人ぞ」婆子いはく、「われはもちひうる老婆子なり」徳山いはく「わがためにもちひをうるべし」婆子いはく、「和尚かふてなにかせん」徳山いはく、「もちをかひて点心にすべし」婆子いはく、「和尚のそこばくたづさへてあるは、これなにものぞ」、徳山いはく「汝きかずや、われこれ周金剛王なり、金剛経に長ぜり、通達せずといふところなし。このたづさへてあるは、金剛経の解釈なり」これをききて、婆子いはく、「老婆に一問あり、和尚これをゆるすやいなや」徳山いはく、「ゆるす、汝がこころにまかせてとふべし」いはく、「われかって金剛経をきくにいはく、過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。いまもちひをしていづれの心をかをか点ぜんとする。和尚もし道得ならんには、もちひをうるべし。和尚もし道不得ならんには、もちひをうるべからず」徳山ときに茫然として、師対すべきことをえざりき。婆子すなはち払袖して出ぬ。つひにもちひを徳山うらず。うらむべし、数百軸の釈主、数十年の講者、わづかに弊婆の一問をうるに、すみやかに負処におちぬること。師承あると師承なきと、正師の室にとぶらふと正師の室に入らざると、はるかにことなるによりてかくのごとし。不可得の言をききては、彼此ともにおなじくうることあるべからずとのみ解せり。さらに活路なし。またうべからずといふは、もとよりそなはれるゆゑにいふなんとおもふこひともあり。これをいかにもあたらぬことなり。徳山このときはじめて画にかけるもちひはうゐをやむるにあたはずとしり。また仏道修行にはかならずそのひとにあふべきとおもひしりき。またいたづらに経書のみかかはれるが、まことのちからをうべからざることをもおもひしりき。つひに龍譚に参じて師資のみち現成せりしより、まさにそのひとなりき。いまは雲門・法眼の高祖なるのみにあらず、人中・天上の導師なり。(道元:正法眼蔵・心不可得(後)2)